私は犬が好き
街に出て犬を見かけると傍に行きたくなる。
傍に行って話しかけたり撫でたくなる。
飼い主さんと歩いている犬だと「近づけないな」と我慢するけれど、写真に撮りたくなる。飼い主さんの了承を得て撮る時もあるが、遠目でカシャとやる時もある。
あるときの失敗は、真っ白なグレート・ピレニーズ二頭を見かけて、飼い主さんに了承を得ずカメラを向けたら「黙って撮らない!!」とご主人に叱られた事だ。それからその犬が歩き出したので隣に居た友人に「でっかいね」と言った言葉が奥様の耳に入ったらしく「でっかいじゃない!おおきい!!」とまた叱られてしまった。その方々に了承を得て写真を撮らせてもらうのもなんだか怖い気がしたが、犬とは言えない、その方々の子供なのだと、という事を頭に置いて言葉には気をつけなければいけないと勉強になった事だった。
飼い主さんと休憩している犬がいれば「かわいい犬ですね」「さわってもいいですか?」と話しかけながら、「写真を撮ってもいいですか」と傍に寄り写真の了承を得る。たまに、犬におやつをあげている場面に出会うと(私もこの手であげてみたい)と思いながらしげしげと見させて貰う。「おいしいねえ、よかったねえ」と何度も言葉を掛ける。自分が犬になったような「嬉しくて良かった満ち満ちた」気持ちになる。これは病気です。
ときどき店の前に繋がれて、ご主人を待っている犬がいる。こんなに簡単な繋ぎ方では、可愛い犬がさらわれてしまうではないか、不用心すぎる、と怒りたくなったり心配する。それでも近づいて行って「待ってるの、えらいねえ」と話しかける。話しかけられるのが嬉しくて尻尾を振って寄って来る犬もいれば、ご主人に言われた通りにどんな誘いにも耳を貸さず「待つのみ」の犬もいる、吠えるわけでもなく丁重にだ。ご主人がその場にいなくてもそうしているから凄い。
これは2017年に道の駅に叔母と行った時の写真。「こんなに犬好きだったのか」と思うほど叔母は犬の身体をあっちからこっちから撫でくりまわす。サモエド犬です。「年老いてしまいやっとここまで歩いて来るんだよね」と聞くと「えらいねえ、がんばったね、かわいいこと、またおいで、あしたも来られるといいね」と話しかけまくる。年老いて目も弱っているし、平衡感覚もつかめないらしくよろけて歩いている。けれども、感情がとても豊かだ。
叔母の家にもビーグル犬がいた事がある。紫陽花の季節になると「綺麗でしょう」、スズランも菊も「綺麗でしょう」、と花が咲けば花を見せて歩く叔母がいた。見るというよりも「いい匂い」を嗅がせてやりたくなる衝動にかられるようだ。
昔、私の家では秋田犬を飼っていた。昔だから番犬でそれはでっかい犬だった。黒と白と茶色の三頭を飼っていた。懐かしい。
ほら、かわいくてかわいくて、
抱きしめたくて抱きついてしまう、
こういう光景です。
このサモエド犬は現在どうしているでしょう。もう一度会いたいです。