亡き祖父と私はテレビの取り合いっこでした。

父方の祖父、「おじいちゃん」と書きます。一緒に暮らしていました。59歳で亡くなりました。父の姉弟たちは、父親が59歳で亡くなったので、自分達も59歳で死んでしまうと迷信を作り出し恐れていたのです。

私が6歳の時でした。

11月4日の早朝、あたりには「銀色の雪」がわさわさと舞っていました。
「銀色の細かな光」ですが、それは誰にも見えず、私にしか見えなかった景色です。

おじいちゃんを迎えに来ていると思いました。


おじいちゃん、良かったですね。昨日、偶然ですが、「雷おこし」が届きましたよ。
「きのこのおつゆ」の方が良かったですか。

今でいえば脳梗塞だと思います。食事以外寝て暮らしておりましたが、夕食は私と二人で食べていました。

私とおじいちゃんは、毎晩テレビの取り合いっこをしていたのです。おじいちゃんは「ニュース」、私は「ひょっこりひょうたん島」です。おじいちゃんは杖でチャンネルを回します。私は、すかさずチャンネルを元に戻します。何回も繰り返すうちに、おじいちゃんは私がテレビに向かうのを杖で阻止するのです。そればかりか、私の手の甲を杖でコツンと叩き始めます。
「また始まった」と周りの大人達は見ているのです。大人はたいがい私の見方でしたが、おじいちゃんが怒られてあまりに可哀想になったときは、私がおじいちゃんの見方になってニュースをかけてあげました。




今朝は赤い光が地面に灯りましたよ。暖かい色でした。




すがすがしい菊を買って来ました。
誰が買って来たのかわからない、底に「立山」と書いてあるに花瓶に挿しました。


おじいちゃんの位牌を眺めて、いったい明治の何年の生まれか計算したら、明治37年生まれでした。

おじいちゃんの母親は、明治7年生まれです。

おじいちゃんの父親は、安政5年の生まれで時代でいえば江戸時代です。なんと、安政の大獄に生まれているのを知り、大河ドラマじゃないかと思いました。

11月12月はこの方々の命日が続きます。

おじいちゃんは私をおぶって電車を見に連れて行き、おばあちゃんとベンチに休もうといったときに、私を頭から落としたという話を聞いた事があります。


それで私は、こうなって、いるわけだと思います。





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