寒いほど涼しい山から汗の出る下界へ帰って来ました
山は空気も木々も石ころもコケも雑草も、枯れ葉一枚ですら生きていることかしれません。山に行くと、自分の心や身体がどれだけ死んでいてどれだけ生きているか感じます。夜になったら眠り、眠っていても心臓も動いて呼吸もしているのだろうと感じます。それは夜を超えて朝目覚めたときに、自然界に迎えられるからです。森の匂いのする澄み切った空気だったり、雨に打たれた建物の湿気を洗濯物が吸い込んでいたり、ただそれだけでも、心が開いたりくじかれたり腫れたりするのです。心と身体がむき出しになるところが自然界だと思います。自然界に生まれて来たのに、その強さや弱さやたくましさやもろさを忘れてしまい、なんと平坦な、平気な顔をして、人間界に生きていたのだろうと思うと、胸が張り裂けそうになりました。山には今も、私に手を差し伸べる自然界が居るからです。
いつ咲くのかな、いつ咲くのかな、と、ここに来る度に思う、しゃくなげ。
秋には咲くのかな、春だったかな。とにかく、雪の無い時期に咲いたのです。
押し花が好きなので、しゃくなげの葉が落ちているときは必ず拾います。貴重だからです。
敷地は、紫陽花がぐるっと一周囲っています。「見て来てごらん」とスタッフの方が言います。実際に足を踏み入れられる庭や敷地と呼ぶ所よりも、森の奥の方まで、紫陽花は咲いていました。森の紫陽花は、周りの木々に合わせて背が高いのです。
お山の施設にいるアロワナです。身体は30センチくらいあります。もっと大きいかもしれません。
餌をあげると飛び跳ねて、水槽の隙間からビッショリと床に水をまき散らします。悲惨です。お腹が空いているのがわかります。
近寄って、水槽をトントン叩くと、寄ってきます。
アロワナは、ただ泳いでいるだけではないようです。
やっぱり生き物なのです。
「餌を持ってないなら水槽をたたくなよ」って言いたげです。
アロワナは笑うでしょうか。
「笑う」と思います。
短い時間でした。敷地から一歩も外に出なかったけれども、「感情」という夢の中を、ぐるりと一周歩いて来たような気がします。
私の心の中の全ての「感情観光」です。
雨続きの日々でした。光が射したのは、ほんの数回数時間です。
光が射さなくても呼吸する、静かな静かな森がいます。
梅雨の日生まれの私ぴったりな時間と場所でした。