毎日新聞に掲載して頂いた「感謝の日の絵本の一冊」に背中を押されました。
以前は、絵本を広めようと思って施設さまなどにお手紙を書いていた、と思います。
けれども、今はそればかりではないです。
勿論、子供達に、「水は大切だ、水は命を守る、世界中の皆に美味しい水が届くといい」という事を、イルカのジュウを通して伝えたい思いもあります。ですが、
「イルカのジュウ」がやっていたように、
私も「困っているその人」に届けたいと思うようになりました。
初めて「この人に送りたい」と思う人に絵本を送りました。
受け取ってくださると良いです。
出版したての頃は、毎日書けるだけDMを書き、「自分が広めなければ誰も作品を広めてはくれない」と思って頑張りました。お手紙一通書くのにも、とても緊張しますし、頭も力も使います。
それが、年の暮れ頃から、お手紙を書く速度が落ちて、1月2月はとうとう送る事が出来なくなりました。
「ペットボトルのイルカ」が行き場を失くしてしまったように思いました。いっぱい働きたい仕事が大好きなイルカなのに、私はとうとう足踏みをさせてしまいました。
「本の中にイルカのジュウを閉じ込めて出さなかった」と言っても過言ではありません。その事を今頃になって気付き、ほろほろと涙が零れました。
色々な事に怖気づいてしまったというのもあります。
突然の不躾なお手紙は失礼ではないか、自分が手紙を書かなければどこかの誰かが本の事を知る由はないけれども、ガツガツと営業の為だけに書いて来ていると思われはしないか、出版社のステルスマーケティングなのではないかと疑われはしないか、そうすると出版社にとっては迷惑になり、責任は私に振りかかるのではないか…、何よりも、毎日毎日小説と並行して作業をしているので、頭が止まってしまったのです。
私は、イルカのジュウを広めようとは、もう思いません。
「例えば少なく売れようが、多く売れようが、本は届く人の所に届けられたら、それで役目をはたしている」と、先月、Jディスカバーさまのイベントにいらした講師の編集者さまが、仰っていたのです。
今日、やっと、その意味を実感する事が出来ました。
ペットボトルのイルカのジュウは、或る時、地震の街にペットボトルの水を沢山作り、それをビニールボートに乗せて、何度も何度も真っ黒けになりながら運んだのです。そういうイルカが居る事を、私がジュウの代わり伝えてあげようと思います。