昔は原稿用紙で書いて郵便で送った。その又昔は、原稿用紙を持って出版社に行った。
ある公募に投稿しようと思い、以前に書いた小説(原稿用紙284枚)と、この4日間ずっと居た。明けても暮れてもパソコンでタンタカ打って何回も通して読んで推敲する。この小説の元はある文芸誌に載った短編だった。
今回は応募サイトから出版社の指定するテンプレートを使い、応募フォームから応募するというもの。しかし、一時、応募フォームが表示されなくなり、問い合わせのメールをしたり、出版社の電話を片っ端から掛けたりした。これは郵便しかないと思い、郵便物に作り変えて局に行くと、速達は今日の今日には届かないそうで、今回はもう無理だと思って帰って来た。
そうこうしていると、ページに応募フォームが表示され、問い合わせメールの返事も来た。
昨夜はテンプレートに上手く打ち込めなくて悩んでしまったが、今朝、都会の息子に電話して打ち込む事が出来た。
今日が過ぎれば明日はきっとなんとかなる、といつも、半信半疑でも思っていさぎよく眠る事にしている。
昔は原稿用紙で書いて、郵便で送った。
その又昔は、原稿用紙を持って出版社に行った。
処女作は400字詰め原稿用紙に書いた。
出版の段階になるとゲラを持って出版社の方が那須まで来てくれた。
私がパソコンを入手したのは27年前。人がひとり入っているのではないかと思うほど大きな段ボール箱に入って届いた。
茶の間のこたつの上に置いて、どうしたものかと両親と眺めた。
私がパソコンというものを知ったのは、東京に出てパソコンを使う会社に勤め様々なデータを打ち込む仕事に就いた時だった。おかげで、ひらがな打ちが得意になって、英字打ちが苦手で笑われてしまう。
昨日は驚くほど沢山の人が私を訪ねて来た。
「小説を書く」という事と、「人が集まる」という事が、時間をシンクロした日だったと思える。私が持って生まれた性質の中の、象徴的な2つだと思えたからだ。それは最初から分かっていたわけじゃなく、生きて来る内にだんだんと分かって来た事だ。