私の毎日なんか小手先ばっかりで見劣りする。
とても落ち込んでいる。やる気がでない。
その気持ちをごまかそうと口に入る甘い物を色々食べて過食する。
すると、あっという間に体重が増える。
1日1キロ増える。3日で3キロ増える。
体重が増えると、自分を隠したくなる。閉じ込めて置きたくなる。心も体も重くなって、もうやりきれない。足取りが重くなってしまう自分がいる。
いつも楽しみに眺めている景色に、素晴らしい霜が降りているという事を喜べない。
私に見せてあげようと思った景色の心は、確かにひもじくなる気がする。
折角良い物を出して見せたのに。
こちゃこちゃと、トートバッグを半日で作ったって、嬉しくない。いつもなら、半日で得られる成功体験を喜んでいるはずが、虚しくなる。
性懲りもなく、余り布をはいで作ったけれども、嬉しくない。いつもなら、叔母にでもあげようと思えるのが、思えない。
用があって市役所に行き、帰りに桜が咲いているか見て来ようと思い、裏道を歩いてみる。
固い枝に、桜が咲いていなくても、
間近に幹や枝や芽をすがすがしく眺めていただろう。
なんだか私は
「細胞が息をしないで詰まっている」。
今日、日記を書こうとして、このような事に気付いてしまった。
戦争じゃなくても死んだ人は、私の周りににいっぱいいる。
身近に死んでいった人には、いつも、
「生きていてほしいんです」と想ったと思う。
この本の存在に対すると、
私のやっている事は、小手先の事ばっかりだと思えて、虚しくなって来た。
出来れば、もっと深く、もっと真実に生きて行けるだろうか。
この本の存在に対すると、私はひとつも潤ってはいないのに、それでも生きて行きたい欲はある。
この本に、私はかなわない。
谷川俊太郎さんが
「何に乾いているか分らないのです」と書いていた。
乾きの中には
「水・思想・愛・神・」と続く。
そして
「何に乾いているか分らないのです」と続く。
これは私だと思ってしまった。
どこの馬の骨がも分らない私なんだと思った。