「詩人と母」が届いた。

みらいパブリッシングの社長様でもある
「松崎義行」様の御著書です。

詩人・翻訳家の「ティエン・ユアン」様との共著であり、
互いの母が天に召された時期がいくらか重なり、「詩人の母」の本を、詩とエッセイにまとめてあるものです。読んでみたかったものです。


それは私が最も尊敬し、最も感性と感受性が鋭いので、話しを聞いてみたい、また、その方の会話が奥が深いので、そのひととなりに触れてみたい、その勿体ないほどのおもむきを感じたいと思ったからです。



まず松崎様のページとティエン・ユアンさんのページの、紙の色が、白とベージュと違っていました。
また、詩のタイトルの文字とエッセイのタイトルの文字のフォントと文章のフォントも選び抜かれたそれぞれのフォントでした。

スペシャル対談
母の死は誰にでも訪れる。






松崎様のお母様は、亡くなられる前に書かれた、
もしも松崎さんが「遠いところなら 知らせるだけで、わざわざよばなくてもよいから」と書き残したメモがあったそうですが、この言葉には胸がえぐられました。お母様は自分よりも息子さんを尊重しています。これは遠慮などではないし、我慢などでもなく、子供を尊重する愛だと思いますし、お母様が暮らしていた「日常」が、一番あたたかいのだという事を、この言葉から息子さんは感じ取れる事かもしれないと思いました。

私も二人の息子の母なので、最期には息子には死んだことが伝わるだけでもいい、と思いました。
松崎さんの本を読んだから、はっきりと自分に思えた事です。例えば私の息子がどれ程の愚息であったとしても、私は死ぬときも息子を尊重して自分の日常の中でちゃんと死んでいくだろうと伝えたいです。
身代わりになるという言葉がありますが、母とはそういうものかもしれないと思っています。

尊敬や尊重という愛は、しすぎると、その人の為に身を投げる事が出来るような事だと思います。



この本の中で、私が、ああこれこそが松崎さんだ、と感じた言葉があります。


「きょうはなんだか最後の日のようで幸せです。
 本当の最後の日も、幸せな気分だといいな。」

松崎さんそのものだなと感じました。
多面体の、その面のひとつひとつが中心の深い普遍的なところに結ばれているような方なのです。この言葉を書いた時の松崎さんの様子が伝わって来るようです。

それは、いつどんなお話を聞いても、紡ぎ出されてくる言葉が、考え抜かれたものになっていて、思いやりと優しさを持って話しをします。全て覚えておきたい、聞き逃したくないと思わせる「魅力」がある方で、今回の出版がなければ出会えなかった方です。


それと、とても純粋無垢な少年が、天使と会話しているように思えます。

一行目は、天使が少年に告げている言葉のようです。
二行目は、少年が天使に告げている言葉のようです。

お母様と松崎さんが交わす言葉だとしたら、
一行目はトルストイの本を買ってくれるようなお母様。
2行目は少年の松崎さんとも感じられます。

この見開きのページの言葉で・・

「この世のどこだって
 あの世のどこだって
 満たされる気配はない」

という言葉に、心がうるおいました。

このとりつく島が無い無情に思える言葉が、究極の幸福なのではないかと思えました。それがいいのではないか、魂も肉体も心もと思えました。



あるとき、松崎さんのお母様は、本屋でトルストイの本を買って、手渡そうとし、松崎さんは拒否をする・・それが反抗期のはじまりと書いてありました。

私の父母は、教養のある人ではなかったので、トルストイを買ってはくれないと思います。
ただ、いつも知り合いの本屋さんでみつけてきたものを、父か母か、一緒に暮らしていた叔母が、私の名前を大きく書いて持たせてくれて、好きな本はいつもランドセルに入れて持ち歩いていました。

自分を想ってくれる人がいるのは、今思えば幸せです。
今は父も母もいませんが、廊下の本棚に沢山の本を持って居た「酒屋の叔母」と呼んでいる叔母が私に優しくしてくれます。




母の最期を、母は喜んではいなかったと思います。

私には、悔やまれる母の事が沢山あります。

老人施設に入っていた母を、外に連れ出したかったけれども、たったの一回も連れ出す事は出来なかったです。




今朝は雪が降りました。
草っぱらに雪が潜っているのは珍しいです。
寒くて凍ってしまったのでしょう。
カリカリの氷のような雪が地面に張りついています。

雪がお好きだという松崎さんの本を、関東一帯に大雪注意報が出ている日に読めて、ゆったりとした時間を持てて、とても楽しめました。
ありがとうございました。




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