太陽は暖かく誰にでもあると今は言えない。

朝陽が出たら、私の影が出ていました。
いつも真ん前のパソコンばかり見ていて、脇を見ていなかったので、初めてこの影絵見ました。

昨日の太陽ですが、とても丸く可愛く撮れました。




太陽が昇ってくるとこの光が途轍もなく暖かいのです。

冬なのに暑いなと思うときすらあるのです。

「太陽は誰にでもある」
と、小さいころ、昔は、本当にそう信じていたのです。
けれども、世界の人々の中には寒さに飢えなどの過酷な暮らしをしていたり、文化的な争いや、テロや戦争の真っただ中に命からがら生きている人もいて、その情勢を知ると、そうではなかったんだと思うようになりました。
とても悲しいけれども、今の私には想う事、祈る事しか出来ません。




机の上まで光が注ぎ、膝掛けと足下のホカホカミニマットだけで、部屋にいる事が出来ます。
こんなに恵まれている事に、とても感謝します。

同時に、YouTubeやテレビのドキュメンタリーで見た、不自由な人々の暮らしが、頭の中を通過します。

本当に、想うだけしか出来ない。本当に何とかしたいと思うならば、まず初めに、私は精神と身体がもっと強くならなければならない。




精神疾患というものは、生産性がある時と、無い時が無惨にもある。

注射などの薬を使い、
「私はこんなに仕事が出来たんだ」と充実感を味わったり、仕事がはかどり、とても自信がつく時がある。

これが毎日だったらどんなに仕事に打ち込めるかわからない。持続させたい、なんとかしたい、といつも思うけれども、その逆の心身がドカーンと訪れる。

この頃は、朝起きる時に、起き上がれないと思いながら起きている。

一日何をやっているのかわからない、創作が進まない時がある。集中力も持久力も無くなる。

本当は、毎日、注射を打ってもいいから、ガンガン創作をしたい。沢山書けた日は「充実感と幸福感」が訪れて自信が出る。

人の役に立ちたい、その前に私は「寛解」しなければならないです。




大好きな縫物も手に付かない時がある。ぼうっとしてしまうのだ。そういう時こそ、わざと針を持って縫物をする。

ひとつ出来たら達成感がある。ありがたい技を私は知っている。




クリスマスが近い。
今年も二人の大きな息子にちょこっとしたプレゼントをあげたい。私は貰わなくてもいい。母親ってそうかもしれない。

子供達が小さいころ、自分が出先で美味しい物を食べた時は、私は食べなくていいから子供に持って帰りたいといつも思った。それはずっと変わってない。

「息子達はもう大人なんだよ」と人に言われた事がある。だけど、母親ってそうかもしれないと思う。
「母親って」ではなくて「私って」なのかな。




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