つづけてお山へ

数回の注射に通おうとバスに乗って向かった。

病院は大混雑しており、私は注射だけだったので、早い処置で帰路に着く事が出来ました。

行き帰りのバスは良かったのです。
バスに乗っていると都会に暮らす下の子から
「今日帰るから」と電話がありました。
バスの中でこそこそ話をし、何かあったのかと思いました。
帰って来るのは3年10カ月振りになります。

バスを降りド〇キに行って、お稲荷寿司の材料とか海老とか漬物の材料とか昔何回も作ってあげた巨大ホットケーキの材料など色々を買い求め、家に帰り軽い昼食を摂り、布団を出したり部屋をセッティングしたりしたその後です。

急に腹痛がはじまり、それが激痛なのです。身体を縦に出来ない程です。トイレに行ったり来たりしながら悪寒が走るので電気毛布を付けて布団にもぐって堪えていたのですが、その内にふらふらになり、OS1を飲んだりしたのですが、今度は気持ちが悪くなりました。
叔母に電話して、病院まで送って貰い、その後嘔吐が始まり、コロナの検査をしてから、陰性との事で診察をして貰いました。
生ものなどは食べていないのです。気になるものといえば、油臭いナッツ位です。
風邪から来る胃腸炎との事で、OS1を飲む事が出来ると言う事で、点滴はせず、一日分の薬を処方されて帰って来ました。

その間に、列車に乗ったという東京の息子に連絡をして、
着いたら連絡をしてね(まだ病院にいるかもしれないので)と言ったのですが、
「自分が帰ると、お母さんは頑張ってしまうので、
今日は帰らないでまた別の日にする」と言い、
東京に引き返して行ったのです。

1時間半くらいは鈍行に揺られたと思います。
どのあたりまで来ていたのでしょう。
切なくなりました。
ごめんねと思いました。

東京に出るその時分まで、私は仕事で忙しくしていたので、
私の手料理などはそんなに食べさせた事がありません。
殆ど祖母の料理を食べていたのです。
時間が空けば、子供達と3人で、マックを買って河原で食べるか、ガスト、でした。
河原に行けば、小さなキャンプです。私はほぼインドアなのです。

子供達が小さい頃は、主婦を主にしていたので、沢山の料理をしていましたが、
小さすぎて覚えていないと思います。

覚えているとすれば、
大きなホットケーキだと思います。
学校でお母さんの手料理で何が好きと聞かれると、
「レトルト」か「ガチャガチャ卵(スクランブルエッグの事です)」と言いました。

上の子は3年前都会からこちらに帰省して来たので、
毎日のように私の手料理を食べる時期がありましたが、
確かに「上手ではない」と思っているだろうと思います。
けれども、そんな事でもないと、
私は子供に手料理を食べさせてあげられないとつくづく思いました。

今度、又帰って来られたら、
黒磯を満喫して欲しいし、つたない手料理でも作ってあげたいし、
マックを食べたい(河原には行かないですが)と思います。

子供との3人での思い出は色々あります。
お誕生日は子供の友達を呼んでパーティをしました。
遠足や修学旅行の支度は私でなければ出来ません。
けれどもそんなときも私の母は沢山のお料理を作ってくれるのです。

都会に出てからも、誕生日とValentineとクリスマスの送りものは、
どんなに忙しくてもどんなにお金が無くても、
忘れた事はありません。

それだけが私が子供達に出来る事です。

今度は、元気にしているので、また帰って来てください。
待っています。

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