母がいた春です。

2018年の今日、4月10日。母が亡くなり3年が経ちました。その年の4月5日、母の病院に行く前に公園を散歩して来たときの写真です。
桜が湧くように咲いていた日でした。




2018年は、こんなに大勢の人で賑わっていました。
今年はコロナの影響で屋台も出ていません。




昔、母と住んでいた家を出て、2014年11月からここに二人で暮らし始めました。その時は既に母は認知症でした。それが、更にこの小さな部屋の中で転んで大腿骨を骨折したり、脳出血を起こしたり、肩を骨折したりと、母は何度も入退院を繰り返しました。近くの病院に入院していた時は、毎朝、母の病院に通って母の食事の介助をしました。病院に居た夏は母に腹掛けを作ってあげたり、ランチョンマットやコースターやお風呂バック、ハンカチに名前を入れたり、と母のベッドの脇で縫物をしました。母はそんな私を見るのが大好きだったようで「あの人にも作ってあげたい、この人にも作ってあげたい」と私に沢山リクエストしました。皆が喜んでくれるので私もせっせと作りました。その頃、母は座面の付いたキャリーを押して歩いていたのですが、いよいよ50メートルも歩けなくなり、美容室に行く途中の道で棒立ちになった母を抱えてその椅子に座らせ、母ごと押して行きました。長い時間座れるというカートではないですし、車椅子でもないのですが、座面の大きなものを買っておいたので助かりました。

母は、入退院を繰り返すうちにどんどん認知症が重くなり、最後はこの部屋に戻って来られないまま、亡くなってしまいました。母にしてあげたかった事は沢山ありました。桜の公園でお弁当を食べさせてあげたかったですし、お蕎麦屋さんにも連れて行ってあげたかったです。又、近所のお店で母が好きな食べ物なり洋服なりを買って貰いたかったです。施設に入所していても、冬はもっと暖かい着物を持って行ってあげたかったですし、同じ靴ばかり履かせてしまったなと後悔しています。もしも家にいたら、母と誕生日やクリスマスにご馳走を作りケーキを食べたと思います。家に居た時には母とインターネットを見て、母の物をたくさん選んで買ったり、ディサービスにも楽しく行けていたのに、施設に入った時には、いつも傍に居なかったので母の全てを思いやってあげられなかったと思います。



この桜は公園の傍にある介護施設の桜です。
毎年毎年こんなに素敵な花を咲かせます。




今日は息子と二人で母のお墓に行ってきました。




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