お山へ
疲れ果ててのお山です。冬枯れの木々です。
自分の周りが華やいでみえる。快活で活発に活動していて、素晴らしく感じられる。自分が取り残されて行く感じがする。
どんどんと自分が小さく縮んでゆくのがわかる。
「これこれしようよ」「なになに買ってあげようか」「これこれしたら前向きになるよ」「やってみたらいいよ」「一緒になになにしようよ」「たのしいよ」。
周りの人達は私の事を想って言ってくれているのだと思う。それなのに私は自分に向けられた親切な言葉も、良い提案も、暖かい想いも全てを拒否してしまう。自分が何の価値もない人間だという所から上がる事が出来ないでいる。とても小さくなってみじめになっていく。私なんか居なくなってもいいんだと思う時もある。
「いつも、最悪だと言ってここに来るよ」と、30年以上も通っているお山の先生に言われました。そうか、いつもそう言って生きているんだ。
悲しくなりました。だけど「最悪だ」。自分が最悪だ。最悪だと言わないと、立ち上がれないと思う。
周りは軽やかに動いている人々ばかりだ、とても輝いて見える。
成功体験が細かくある人々ばかりだ。私は何も無い。何をしているんだろう。
最悪な状態になる、それは思ってもみない事が起きてしまう事。自分が一歩も進んでいない事。自分が何一つ開いていない事、開かない事。
色々な状況、様々な状態を、乗り越えては来た。ただそれだけが、私がしてきた事だ。最悪でもどん底になっても、「頑張っては来た」。物事に、何とか追いついて、生きて来た。ただそれだけが私のしてきた全てだと思う。
どんな事があっても、生きていかなくちゃならない事は、ちゃんと知っているし、くじけながらでも、これからも生きて行くと思う。
昔、母が「もう死んじゃったほうがいい」と言った事がある。
老いて来ると、その言葉が多くなった。あの時、母はどれだけ切なかったかしれない…と今、実感出来る。もっと母にしてあげられた事があるといつも後悔する。
いつも通る道に年寄の犬がいる。
お家の人がいないのか、いつもひとりでいる。昨日も今日も、ぬれ縁に丸まっていた。私が今の家に引っ越して来てからずっと、この犬は雪の日もここにいる。
呼んでみたいけれど名前がわからない。家の方の許可も取らず、又写真を撮ってしまった。
「タダで生きていいんだ、0円の価値だって生きていいんだ、1円も生めなくても、マイナスでも、生きていていいんだ」と思う。
この犬にはとても素晴らしい事がある。
6月に、
「あじさい犬」なる。
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お山の病院には30年以上通っています。
何回行っても、どんな日に行っても、
「行く場所がある」という事が、
なければならない事なんだなと思います。