9月23日は万年筆の日なのですね、大切な万年筆があるのです。
今は亡き見川鯛山先生の万年筆があります。
先生は医者でもあり、作家でもありました。森繁久彌さんが出演した連続ドラマの原作にもなり、徹子の部屋に出たりと、とても有名でした。
まだ先生がたまにの診療に出ていた頃、大概午後に診察に出ると聞いていたので、病院に会いに行ったのです。
電話を掛けて行ったのですが、突然押しかけた私を、ベッドがいくつもある点滴室の、ソファで待たせました。申し訳ないなと思いながら、那須の診療所は「まるで旅館みたいに風情がある」と思いました。そこからの眺めもとても素晴らしかったのです。
先生は、私が景色を眺めている所に静かにやって来て、「ここで、ぼうーっと外を眺めるといい気持ちだろう」と言いました。
その日、私は、随筆を7作持って行き、後日、先生が読み終わる頃、又取りに来るという約束をしました。
幾日かして、原稿を病院に取りに行きました。
先生の感想は「僕の頭ではよくわからない。君は宇宙人のようだな。しかし、君はいまに萩原朔太郎のような詩人になる」とおっしゃられたのです。私はすぐに、萩原朔太郎の古い本を買いました。
後日、自分の著作「ベガー・ヨシジ」を先生に届け、それも読んでくださいました。次にお会いした時に、「よーく書けている」と言ってくださいました。
ほどなくして、私に新聞の随想の連載が決まり、新聞に掲載されたのを先生が見つけてくださり、先生から思わぬはがきが届きました。
「やっと一人前になってきたな」と書いてありました。嬉しかったです。
先生が亡くなったのは2005年8月5日です。先生の息子さんが診療に出るようになった数年前から、診療所に通っており、2004年には4か月の療養をしたのです。その朝の検温で診察室に行くと、先生が山で事故に遭い亡くなった方の診断書を書いていました。私の顔を見ると、
「なんで、こんな所にいるんだ?」と言って、掛けていたショールの襟元を直してくれました。
先生が亡くなった時も、たまたま病院に行っていて訃報を知りました。
この陶器の竹の灰皿と、万年筆は先生が使っていたものです。先生は煙草が好きでした。灰皿も数えきれないくらいあったと思います。一か所、欠けている所があり、使わなくなってよけていたものを私が「どうしても欲しい」と言って奪ったものです。万年筆も、「どうしても」と言って奪いました。
万年筆の日なので、あ、と思い出してガラスの扉が付いた本棚の中から机に出しました。
先が詰まっているのか、文字が書けないので水に浸して見たら、ブルーのインクがぱっと広がりました。以前にインクを10本取り寄せて貰い買ったものが、中に入っている1本を残すだけになりました。またインクを買わなくちゃと思います。
くるくる書きながら文字も書いてみました。酷い殴り書きです。
先生の息子さんがレストランをやっていたので友達6人で何度か食べに行った事があります。それは奥様が先立たれて、先生が毎晩食事に来ていた時で、ばったりとレストランで会った時の事です。
「君は遊びに来ないな、たまには、遊びに来い」と言われました。
そして、
「どうしてこんなに器量が良いのにひとりでいるんだ、世の中の男は見る目がないな」と言ったので、笑いました。
先生にいただいた言葉、ふわふわの柔らかい手、いただいたはがき、頂いた灰皿も万年筆も、一生の宝物です。