雑草の茂り
すてきな雑草がいる。草の匂いに引きこまれてしまう。
身体のすべての細胞が突起してしまう。
この中に飛び込みたくなる。
この大きな匂い塊をそっくり家まで持ち帰りたくなる。
そうして草の香りに満ち満ちた部屋で寝転がりたい。
身体の中から心を取り出して、草の香りの海に投げ込みたい。
きっと疲れているんだろう…私は…。
何も毎日大したと事はしていないじゃない。だけど疲れたっていいじゃない。生きているんだもの、大した事がなくたって疲れる。 心も身体も疲れる。
緑はすばらしいね。自然と言ったらいいかもしれない。ただ傍にいるだけで包み込まれてしまう。包容力がある。
まずは、近くから目を這わせて行く。アザミの遠足みたいと言ったらいい。なんてすてきな事をしているんだろう。もしもこの中に交ざれたら…、真ん中でジャンプしているのが私だと思う。
だいたい人には「落ち着きがない」といわれる事が多い。それは、誰かに会うと嬉しくてテンションがダダ上がりしてしまうからだ。けれども「持たないねえ」と言われる。テンションが上がりすぎて、今度はプシューとしぼむふうせんのようになってしまう。
これは先頭集団。私のように疲れ切っているアザミがおります。
なんでもほどほどが良いというけれど、私は、いまだに「力のコントロール」が出来ないでおります。「力にも出し方抜き方がある」。電気のスイッチも付けたり消したりするでしょう。いい歳をして、「エネルギー温存」という事が出来ない性質なのだ。今日も朝から駆け抜けて、やっとみつけた原っぱで感動して休んでいる。
これでどうです?なんと広い原っぱなんでしょう。昔はここに2階建ての、この辺りでは「デパート」というものがあった事を思い出した。デパートはあんなに賑わったのに。山や農村から家族がバスで降りてきて、帰りの停留所に並ぶ人々が全員「〇〇ジン」の袋を持てるだけ持ってバスを待っていた。私の家は、その停留所の場所にあった。小学校の友達の顔をたくさん見るので、休みの日は恥ずかしくて外に出られなくなり裏口から遊びに出かけた。その賑わしい時代を思い出して、遠足はお終い。この頃になると、原っぱの匂いの感動がもう起こらなくなってしまうのです。